函館家庭裁判所 昭和38年(少)1243号 決定 1963年11月02日
少年 T(昭一八・一二・二生)
主文
この事件について少年を保護処分に付さない。
理由
本件記録にあらわれた各証拠及び当裁判所の検証の結果によれば、次の事実が認められる。即ち、少年は、昭和三七年一〇月一八日札幌陸運局から運転免許証の交付を受け同日から直ちに運転手として○○市電運転の業務に従事していたものであるが、昭和三八年○月○○日午後二時四五分頃、○○市交通局所属第五二四号路面電車に乗客約二〇名を乗せ、市内○○町停留所を運転発車し同市△△町停留所方面に向つて進行中、同市□□町通りと軌道の交差する附近(第一カーブ)から同市△△町五番地附近(第二カーブ)に至る軌道(直線コース)は一〇〇〇分の二〇の下り勾配であり、上記第二カーブは半径四八米の複合曲線であるから、市電運転者たるものは適切な制動措置を講じ、上記第二カーブに差しかかる際には同市交通局電車運転心得第四九条に基き、同所を時速八粁以下で進行しうる態勢をとつて運転し、もつて脱線等事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、前記直線コースを時速約二二ないし二三粁で進行したところ前記第二カーブに対する目測を誤り同カーブ約二〇米手前に至りエアーブレーキによる制動措置をとつたもののそのタイミングを逸した過失により、同第二カーブガードレールに差しかかつた際やや減速した前記第五二四号車前輪を軌道から脱線せしめ直ちに制動のため、さらにニアーブレーキをかける等瞬間的な事故防止の措置をとつたが及ばず、約一〇米前進し、折から偶々反対方向である△△町市電停留所から○○町市電停留所に向け乗客約四〇名を乗せ進行中の江○諦が運転する○○市交通局所属第五一八号路面電車前部に、前記第五二四号車前部を衝突せしめ、よつて第五二四号電車の乗客太○ヒ○ほか一四名に対し加療五日乃至二ヵ月間を要する、第五一八号電車の乗客佐○春○ほか三一名に対し加療三日乃至一ヵ月半間を要する各傷害を負わせたものである(上記所為は刑法第二一一条前段に該当する)。
そこで、少年の処遇につき考察するに、本件事故発生につき少年の過失は明らかであり、発生結果の重大性及びその社会的影響も亦甚大であつたというべく、その客観的側面を重視する場合には、罪質上本件につき刑事処分が相当であるとの判断を導くに難くはない。然しながら本件事故発生以前の××線○○町電停及び△△町電停に至る軌道の運転は、カーブ中心を曲り始めた時点でコントローラをパラレル(並列)に入れ、更にこれをオフにして惰性による運転をエアブレーキにより制動するのが常態であり、少年の本件車輌操作もその例外ではなかつたところ若しエアブレーキによる制動がタイミングよく行なわれた場合には、前記第二カーブを充分廻り切ることが可能であつたというべく(同カーブは時速二〇粁までは耐え得る)衝突後第五二四号電車のコントローラーがパラレル2で静止し、同車前部の破損木部によるコントローラーの回転が不能であつた点も、運転資格を有する運転手の運転常識及びパラレルに入れたままの走行が持続した場合の脱線の早期化、さらには、少年における脱線後の緊急行動への機制(及びそれに裏づけられた現実の行動)を勘案するならば、これをもつて脱線前の過大速度を支持する資料とすることはできず、当時架線の電圧が二五ボルト低圧であつたことと相俟つて、少年の過失は主として前記第二カーブに対する目測の誤りによる制動措置の遷延に求められるべきところ、脱線及び衝突に至るまでの各コントローラーノッチ及びエアーブレーキの把持状況は正常であり、衝突後パンタグラフの位置及び、サーキットブレーカーの無始動、さらに、脱線による電流の自動的切断、と同時に、脱線後における自己防衛に優越する制動機制又はエアーブレーキによる前記制動を考慮すればその衝突に至る瞬間の少年の措置に遺漏はなく、結果において制動の実効を収め得なかつたことをもつて少年を非難することはできず、かくて、少年の過失は脱線との結合にほぼ局限せらるべきところ(それにしても脱線個所は軌道と歩道が交錯しているので、本レールとガードレール間に小石が介在する可能を度外視できない)偶々第五一八号電車が第五二四号電車の脱線進行方向と逆方向にむけ第二カーブ付近を時速約一五粁で進行していたという稀有に属する不運が重なつて単なる脱線事故を越えた本件重大結果の発生をみるに至つたものであり、更に間々脱線事故を惹起しながらも運転、電車、線路につき本件事故発生までその防止のための有機的対策を欠いていた市交通局の安易な態度及び休憩効果が少なく(クレペリン検査)反応速度の緩慢である少年の運転手採用、特に路面軌道の整備が必ずしも充分でなかつたこと等が本件事故を誘発するに全然関係がなかつたといえないのみならず、少年自身本件事故により非常なショックを受けるに留らず、これを大きな人生体験として受けとめ、主体的な悔悟の念を基盤として審判期日等に示された過大とさえ思われる自己負責の供述、而して、被害者に対する申訳ないとする誠意の表示等から、その底流において少年の悲愴感を看取するに困難でないところ、その両親においても被害者を探索してこれに随分の謝意を表し且つ更に表しようとしている事実、而して、すでに被害者等から自発的意思に基き少年の寛大な処分を求める旨の嘆願書が提出され、更に事故と無関係な一般人からも同旨の嘆願書が提出されている現況に鑑みるならば、その情状は少年に対し益々有利に展開するというべきである。
なお、少年は昭和三七年四月高校卒業と同時に市交通局に採用され、同年一〇月から前記のとおり○○市電運転者として勤務し現在に至つているのであるが、この間無遅刻無欠勤の状況であつて軽微な事故すら起したことがなく、ために同僚及び上司からすべて誠意のある実直な青年と評されているところ、在学中をも含めて問題行動の一つだになく、現に善良な社会人としての地歩を築きつつあつたし又あるということができこのほか少年の性格環境いずれも申し分がないと断定されるのであつて、総じて、少年の良心的にすぎる真摯な態度には敬意を表せざるを得ないところである。
以上の如き情状及び少年の性格、環境に照らせば、少年に対し、刑事処分は勿論、保護処分に付する必要も皆無であると判断され、爾後における少年の職種の選択につき慎重が期されるならばその余後は完璧であると思料される。かくて、少年保護事件において占める業務上過失傷害事件の特殊な位置を肯認しつつも、誠意と善意が報いられ、要保護性の存在しない少年に対しては厳しい処分の可能性が減退するとの認識を醸成することも、亦、少年保護の目的使命に合致する所以であるとの結論に到達せざるを得ない。
よつて、少年法第二三条第二項を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 稲垣喬)